事務所 ほんまごめん

メモ程度に書きます

ジャニーさんインタビュー集 蜷川さんラジオ編①

 

私はジャニーさんの作品が好きで、作品の理解を深めるためにジャニーさんのインタビュー記事などを集めたりしていたので、このブログで気になったコメント等を紹介していこうかなと思っています。ただ、ジャニーさんってあまり自分を語らない方なので、わからないことが多いんですよね……

 

ジャニーズ事務所は、ジャニーさんと野球少年たちが、雨が降って野球の練習が出来ないので、『ウエストサイド物語』を観に行こうということなって、その結果みんな映画に感激してしまい、芸能界を目指すっというのが設立のストーリーなんですが、、、、実際は、ジャニーさんは意図的に子供たちにウエストサイドを見せて、芸能界を目指させたのではないか?と言われていたり(野球のチームの名前を「ジャニーズ」と「シャーク(ウエストサイドに出てくる非行グループの名前)」にしていたり)、アメリカ軍の仕事の一環で朝鮮戦争による戦争孤児に英語を教える為に板門店に出向いて英語教師をしたり、、、韓国語もお上手なようで、昔カミセンと一緒にロスへ行ったときに入った韓国料理店で、韓国語でオーダーをしてカミセンをびっくりさせたエピソードもありました。初代ジャニーズが野球をしていた野球大会のスポンサーには力道山がいて、そのつながりでアントニオ猪木さんを紹介してもらい、2000年にタッキーとアントニオ猪木の試合に繋がったり、ジャニーさんとマイケルジャクソンはお友達だったとか、、、いきなり大物がすっと現れるので、よくわからなくなるんですよね。まぁほんと凄い方です。

 

人物も作品も謎?が多いのですが、今回は2015年1月に放送された『蜷川幸雄のクロスオーバートーク第1回ジャニー喜多川』の文字起こし

 

蜷川幸雄のクロスオーバートーク第1回ジャニー喜多川

シリーズ第1回は、ジャニーズ事務所の社長であり、演出家のジャニー喜多川さん。

フォーリーブスに始まり、SMAP、嵐といった国民的アイドルを50年にわたり、育てているジャニー喜多川氏の素顔に、蜷川さんが迫ります。ジャニーさんの思い出の曲もたくさんおかけします。

 

(ナレーション)蜷川幸雄のクロスオーバートーク第1回ジャニー喜多川。この番組は演出家の蜷川幸雄さんが一つの世界を極めた巨匠を尋ね、極意を聴くインタビューシリーズ。1回目の今夜はジャニー喜多川さんです。ジャニー喜多川さんと言えば、SMAPや嵐といった日本を代表するアイドルたちを世に送り出したジャニーズ事務所の社長です。また、ジャニーズ事務所のアイドルが出演する華麗な舞台を作り上げる演出家でもあります。蜷川さんとジャニー喜多川さんの親交は50年にも及ぶのだそうです。

 

(ナレーション)インタビューを行ったのはある雨の夜の劇場。その日の舞台では、ジャニー喜多川さん演出のミュージカルが上演されていました。満員の客席の後ろで蜷川さんはジャニーさんと肩を並べて、舞台を見つめていました。蜷川幸雄さん79歳、ジャニー喜多川さん83歳。舞台からこぼれるほのかな光に照らされて、時折言葉を交わす二人が会うのは3、4年ぶりだとか。インタビューはその舞台を見た後始まりました。

 

蜷川幸雄)会うのは久しぶりですよね。

(ジャニーさん)会うのは久しぶりですよ。

蜷川幸雄)3,4年ぶりぐらい

(ジャニーさん)お忙しいもんね。

蜷川幸雄)なんかジャニーさんところが稽古場に教わりに来たときありましたよね。MASKを素早く変える方法を教えてくださいって。

(ジャニーさん)<笑う>

 

 

(ナレーション)インタビュー前に二人の巨匠が見ていたのは、ジャニーさんが作・構成・演出を担当したミュージカル『DREAM BOYS』で、およそ1か月分のチケットが即日完売したという大人気舞台でした。

 

蜷川幸雄)今日の舞台って何日間ぐらい稽古してるんですか?

(ジャニーさん)短いですよ~。

蜷川幸雄)へぇ~どれぐらい?

(ジャニーさん)どれくらいだっけ?3週間ぐらい?

蜷川幸雄)わぁ~~~短いね!!じゃあ、あれだけの曲と振りも?

(ジャニーさん)3週間といえども、3週間で全部やらなきゃいけないし、音楽もやらなきゃいけないし…

蜷川幸雄)ふふふ(笑)まぁ大変だろうと思った。それから、あれだけの転換をあれだけスムーズにやらなきゃならないし

(ジャニーさん)(ジャニーズの転換は)速いですよぉ~

蜷川幸雄)速い!速い!

(ジャニーさん)セットの移動なんかはこっち(演出側)が考えて

蜷川幸雄)事前に全部できてんですか?

(ジャニーさん)ご存じの通り、劇場空いてからでないとできないので、だから劇場空くのはやっぱり何日か前なので

蜷川幸雄)何日間くらい舞台で稽古してるんですか?

(ジャニーさん)舞台の稽古っていうのは1日だけです

蜷川幸雄)えぇ(驚)

(ジャニーさん)我々はね、もうね、まぁ正直に言ってみんな生徒です、学生です。だから学校から帰ってきて、8時までに(引き)あげないといけないんですよ

蜷川幸雄)それ(労働基準法)があるんだ

(ジャニーさん)だから、5時にしても6時(スタート)にしても、(8時まで時間がないので)2,3時間が勝負なんですよ

蜷川幸雄)夜の稽古なんて出来ないわけなんですね

(ジャニーさん)できたとしても、もうすぐ帰さないといけないから。8時までに帰さないと、5分でも遅れると事務所がうるさいですからね~

 

(ナレーション)ここでジャニーさん思い出の曲をお届けしましょう。世界各国に多くのファンを擁するスターを抱えるジャニーズ事務所ですが、50年前にも全米1位を獲得したかもしれない1曲があったそうです。1964年にレコードデビューしたジャニーズ事務所の初代アイドルジャニーズは、2年後の1966年に本格的なダンスレッスンをするためにアメリカに渡ります。その時、ジャニーさんの友人でもあるドン・アドリシ と ディック・アドリシ兄弟からジャニーズが歌ってはどうかと、彼らが作った曲を渡されます。その曲を聞いた瞬間ジャニーさんは「絶対売れる」と確信したそうですが、結局話が頓挫し翌年別のグループが発表します。それがThe Associationが歌った「Never My Love」全米で1位を獲得した曲です。それから50年、ジャニーさんは丁寧に、でも笑いながら言いました。「本当はこれジャニーズの曲なんだよ。ジャニーズが全米1位になっていたかもしれない曲」The Associationで「Never My Love」

 

(ナレーション)蜷川さん、ずっと聞きたくとも聞けなかったあのことについて切り出しました。

 

蜷川幸雄)ジャニーさんはさぁ、タレントの事「YOU」って呼ぶでしょ?あれには自覚的な何かが?(意識してYOUと言ってるんですか)

(ジャニーさん)いや、あれねー全部ね、アメリカではYou must to do .「You」ってのは主語になってるから、つい「YOU」って言っちゃうんですよ。不意にね。いまだにこの年になっても瞬間的に「痛い」って言うとき「アウチ」って言っちゃうんですよ。

蜷川幸雄)ボク、ジャニーさんのところの若いタレントと仕事するとき、ジャニーさん元気か?とか、お前らの名前ちゃんと覚えられてる?って言うと「ジャニーさんYOUって呼ぶから覚えてるか覚えていないかわからない」って

(ジャニーさん)それは大変失礼な話(笑)だけどもYOUしか覚えられない(笑)

蜷川幸雄)でも「YOU」ってのは便利ですね。ある年齢から固有名詞が覚えられなくなるでしょ?

(ジャニーさん)そうです。もう固有名詞が(覚えられない)日本語めんどくさいですね…

蜷川幸雄)今日拝見した舞台に出ていた子の名前を何割覚えていますか?

(ジャニーさん)覚えていないです。自慢じゃないけど覚えてないです

蜷川幸雄)覚えられないよね~

(ジャニーさん)あれは何て子なの?って聞きはするけど、名前は覚えられないです。それはボクの悪いとこ

蜷川幸雄)(「YOUと呼ぶの」)ジャニーさんに合いますよ、そりゃ「YOUは?」って

(ジャニーさん)覚えられないからね。はっきし言って

蜷川幸雄)ボクもね、昔、小劇団にいたときにね、100人ぐらいの人を使うわけですよ。それで全部名前を2日間ぐらいかけて覚えて、名指しで言っていくとみんな喜ぶんですよ。ところがねぇ、最近全然だめで(笑)

 

(ナレーション)数多くのアイドルを世に送り出してきたジャニーさんは、演出家としての仕事も大切にしています。そのうちの一つ、KinKi Kids堂本光一さんが主演するミュージカル『SHOCK』は2000年が初演、一昨年上演が1000回を超えました。インタビューの収録が行われた日、蜷川さんとジャニーさんが観ていた舞台『DREAM BOYS』も2004年にタッキーこと滝沢秀明が主演して以来、KAT-TUN亀梨和也さん、Kis-My-Ft2玉森裕太さんなどが主演を務めてきました。また、Sexy ZoneA.B.C-Zを中心にジャニーズ事務所のアイドルが多数出演するミュージカル『Johnny’s World』も2012年以来再演しています。同じ演出家として蜷川さん、ジャニーさんがどのように主役を決めているのか興味津々です。

 

蜷川幸雄)俳優を選ぶのは、何人か主役に入ってきますよね、どうやって選んでるんですか?普段から見てるんですか?

(ジャニーさん)もうそれは、こちらが(主役になれる人を)作っていかなければならない。作っていくからできるんです。

蜷川幸雄)ほぉ、バックで踊ったりしている中から見てて、アイツならいいかなとか思ってるんですか?

(ジャニーさん)まぁまぁだいたいわかりますよね

蜷川幸雄)わかるんだー

(ジャニーさん)そりゃわかりますよ。鈍感な子もいますからねー

蜷川幸雄)まぁねぇ

(ジャニーさん)でも、鈍感は鈍感でおもしろいところがあるんですよね

蜷川幸雄)そうですよね

(ジャニーさん)いまの若い子はすぐ覚えるけども、僕たちが一番最初に(演劇)をやったときなんか大変でしたよ。まず男が踊るもんじゃないとはっきり言われるしね。だから笑ってもいけないし。郷ひろみでもあおい輝彦でも昔の人間は、男は笑うもんじゃない、3回笑ったらいいとこだって。(昔の男性は)笑うことは知らないですよね。

 

ジャニーさんは、今まで男と女しかいなかった日本の芸能界に「少年」というカテゴリーを作った人物だともいわれています。大学生でジェンダーの研究をしている人は、このあたりの話を講義で聞かれている方も多いかと思います。少年が微笑み、踊り、歌う姿を当たり前のように目にした日本人には、ある種のマッチョイムズの抑圧がない世界観をすんなりと受容してきたのかもしれません。日本でのフィギュアスケート人気の根底の1つに、少年が「舞う」ことに対する抵抗の無さがあるからかもしれない、これにもジャニーズが関係しているのではないかと論じられることもあります。ジャニーズっておもしろいなぁ(しみじみ)

 

②へつづく